私?アナタ?誰のため?

やりたい事を仕事に?それって簡単に出来るもの?答えはアナタが知っている。

 先日、よくあるセミナーに参加した。

『やりたい事を仕事にする。』

というお題。

私もそうだが
アナタも目がない?

こういうセミナーとかコンサルって
巷で多い気がする。

やりたい事を、どう見つけるの?

だから、こういうセミナーが
絶えないんだろうけど。

 

結論から言って、やりたい事は
セミナーやコンサルを2、3時間受けても
まず見つからない。

そう簡単に見つかるものではない。

特に、自分の感情を出す事を
我慢して来た人は
我慢し過ぎて、何も感じなくなって
感情のセンサーが、鈍くなっている。

見つけるのに、何を自分が望んでいるのか
自分の心と対峙して、今の自分を見つめる
時間が必要になる。

でも、それって、ちょっと講義を受けて
はい出来ましたって、そんな都合良く
出来ないのである。

そして、やりたい事って
やってるうちに、明確になって来たり
ピンチになったり、やり終えた時に
あ、これやりたい事だったんだと
気付いたりすることもあって
やってみないと解らないのである。

 

感情センサーの感度補修中の一人である
私など、何年も、自分の心に向き合っても
未だに、よく解らないのである。

頭で考えても、もう限界なので
行動するしか残っていない。

 

じゃあ、やりたい事見つけられないまま?
と疑問を持つだろうけども
他にもやりたい事を探すのを
邪魔するものがある。

どこまで頑張れば良いんだろう?
という思いだ。

この思いが、引っ掛かって
思い切ってやれないから、進めないと
先日セミナーに参加してみて、気付いた。

そして、このどこまで頑張れば良い?病
たくさんの人が侵されている。

 

サラリーマン時代、いつも思う事があった。

 

私は、仕事はお金が発生するので
中途半端は嫌いだ。
金額に関わらず、お金をもらう以上は
自分の出来る範囲で、最高のパフォーマンスを
出す事がモットーだ。

仕事を腰掛でなんて、とんでもない。
仕事舐めんなよと。

 

でも、会社はそんな人の集まりではない。

楽して稼ぎたい人もいっぱい居る。

 

平気で、人に仕事押し付けて
殆ど仕事しない、義務を果たさないが
給料と休みの権利は、要求する。

そんな人種と相容れない。
イラっと来るけど、揉めるのも嫌なので
押し付けられた仕事を断ることもなく
代わりに仕事をしていたが
ムカついてるので、オフまで関わりたくない。

そして周囲の見て見ぬ振りをする
日和見主義も、うざく思え
敵しか居ないと思うようになる。
毎日、出社と題して、戦いに行くようなものであった。

 

で、鎧を被り、頑張って、頑張って
そのうち、どこまで頑張れば
良いのだろう?
と、頑張りの糸が切れて
頑張るのを辞めた。

 

このどこまで頑張れば良いんだろう?
という、終わりなき頑張りの旅。

 

これは、少なくとも、会社で働いている間は続く。

何故ならば、会社は、自分以外の他人も
一緒に働くところだからだ。

 

 

かといって、自分の好きな事や
やりたい事を仕事と言っても
どうしても、頑張らなければいけない時がある。

でも、もう頑張りたくない自分も居る。

どこまで頑張れば良いの?病が
邪魔をし始めるのだ。

 

会社では、頑張った先に見返りがある。
但し、頑張りを他者が、評価するという
大前提がある。

他者が評価しなければ
何も得ることはない。
相手が、アナタを快く思ってなければ
頑張ってると解っていても
無視する場合もある。

これだけ頑張ったんだしと
期待も出てしまうけど
その期待が裏切られることもある。

 

でも、もう会社とは違う。
自分の好きだけならば
やりたい事だけならば
評価者は、自分だけなのである。

その先は、誰も評価しない自己満足の世界。
特に、アフィリエイトなんて、自分が
頑張らないと何も成果はないし
自分が、頑張らなくても、誰も困らない。

困るのは、自分なのである。

報われなくても、自分の為にやってるので
誰にも非難もされないし
報われなくて、凹むならば、やり方を変えれば
良いのである。

 

自分の為に、自分の気が済むまで
頑張れば良いのである。

という事に、気付いた時
どこまで頑張れば良い?病
自分の為に、頑張ってみるか!
に変わった。

 

 

どこまで頑張れば良い?
会社で働く限りは、答えはないよ。

そして、やっぱりやりたい事を
見つけたいならば
長期戦は覚悟しよう。

でも、センサーが正常な人は、早く見つかるよ。